雨香
こん、こん、こん・・・・。
規則正しい音が聞こえる。
涼やかで、軽い響き。
けれど、それは耳に馴染みやすく、聞いていると自然とほっとする。
まるで、無心に近い感覚。
これは、雨音。
雨が、庭に置いてある桶に当たって、弾かれた音。
頭のどこかで、それを認識するが。
まるで夢見心地な気分では。
その音は、まるで異国の楽器のように感じた。
そんな音楽に耳を傾け、目を閉じる。
抱えた膝に顔を伏せると、まるで子守唄のように心地よく聞こえる。
鈴花は、ぼんやりとその音色を聞きながら、自分の頬を触った。
触れた先にに感じるのは、熱。
体調がわるいわけでもないのに。
ひどく、頬が熱かった。
指先に感じる熱さは、自分のものと。
先ほどまでいた、もう一人のもの。
「・・・原田、さん・・・」
そっと呟くと。
頬の熱さは一段と増していった。
それは、何の前触れもなかった。
ただ、二人で空を見上げていただけ。
会話と言えば。
「今にも降りそうな天気ですね」とか「この前まで暑かったのが嘘のようですよね」とか。
甘い空気など微塵にもない、まったくの日常会話だった。
それが一変したのは。
上空から、ぽたぽたと、雨粒が落ちてきて。
降ってきた。
と、鈴花が視線を空へ向けた時だった。
後ろから。
抱きすくめられた。
「・・・え・・・?」
回された、大きな腕。
いつもは大きな槍をふるうその腕が、自分の肩を優しく包んでいる。
その事を自覚し。
頬が紅潮した。
その、瞬間。
「・・・・わりぃ・・・・!」
温もりは離れ。
原田は、走り去ってしまった。
呆然とする鈴花を残して。
なぜ、そんなことをしたのか。
鈴花には、原田の真意が分からなかった。
ただ、分かるのは。
彼の力強い腕が、ひどく心地よく感じたということ。
抱きしめられたその瞬間に。
自分が、彼への気持ちを自覚したいうこと。
ただ、それだけだった。
それから、数日が過ぎた。
普段ならしょっちゅう顔を合わせるはずの原田に、一度も遭遇しない。
見事なまでに、任務は重ならない上に、非番すら違う。
まるで仕組まれたかのようなすれ違いに、次第に鈴花も苛立ってきた。
「永倉さん、原田さん見ませんでした?」
「左之ぉ?あー・・・やー・・・見て、ねぇ・・・かな?」
妙に歯切れの悪い言葉。
それに引っかかりを覚える。
だが、それ以上食い下がるわけにもいかず。
鈴花は、一礼してその場を去った。
胸には、妙な予感が渦巻いていたのだが。
そんなこんなで、更に数日が過ぎた。
あれから、原田には一度も会っていない。
その理由は、どれも不自然なもの。
鈴花の非番が、ころころと変わったり。
給金前にも関らず、永倉と原田が島原居続けを断行したり。
これは。
いかな鈴花と言えど。
薄っすらと感づいてきていた。
避けられているのだ、と。
考えられることは。
あの、雨の日の出来事。
彼は。
あれを後悔しているのではないか、ということ。
「・・・・・・・・・・・・・」
たとえ、そうだとしても。
避けられ続けて良いわけがない。
ぎゅっ。
鈴花は、握り締めた拳に力をこめた。
うだうだと悩んでいるだけでは、答えは出ない。
ましてや、相手はあの原田。
このまま、会わないようにしていても、何の解決にもならないのだ。
たとえ、あの日のことを後悔しているのだとしても、これ以上、避けられるには御免だ。
その結果。
例え、自身が傷ついたとしても。
別に、いいですよ。びっくりしただけ。
そう言って、笑えるはずなのだから。
このまま、会わないよりは。
マシなのだから。
嘘をついてでも。
彼の、そばに。
いたい。
「永倉さん!!原田さん、見ませんでしたか!?」
「うおっ!?桜庭!?左之なら、その・・・あー・・・」
勢いよく襖を開けた鈴花に、永倉は一瞬素になった。
畳み掛けるような彼女の問いに、適当な答えも返せず。
その視線は宙をさまよった。
この時ほど。
鈴花は、彼の演技のまずさに感謝したことはない。
「あっち、ですねっ!」
すぱーん。
来た勢いそのままに、襖を叩きつけるように閉めて、嵐は去った。
残された永倉は。
遅らばせながら、自分の失態に気づいて、頭を掻く。
「ま、いっか。避けててどうなるわけでもねぇしな。・・・にしても。
あいつの嗅覚は犬並みか?」
鈴花の去った方角は。
まさに、原田のいる方向だった。
「・・・原田さん!!」
その後、鈴花が原田を見つけたのは、屯所の井戸場だった。
思いのほか時間がかかってしまったのは、原田の動物的勘ゆえなのだろうか。
しかし、それでも最終的に見つけることが出来たのは、ひとえに鈴花の執念の結果といえよう。
それほどまでに、彼女の中の苛立ちは頂点に達していた。
「桜庭・・・!?」
「・・・!!」
鈴花の姿を認めたとたんに身を翻した原田を。
鈴花は、必死で捕まえた。
着物を掴む手が、微かに震えてしまうのは、これから聞く事柄に対しての恐怖。
それでも。
この手を離すことは出来なかった。
この手を離してしまえば。
自分達の距離が、ますます広がるような気がして。
決して離してはならないと、力をこめた。
「・・・わ、たし・・・・・・っ」
口を開いた瞬間。
息が詰まるかのうな錯覚を覚えた。
不意にこみ上げてくるのは、熱い涙。
言いたいことは、たくさんあるのに。
思わず、ぽろりと大粒の涙を零してしまった。
それを見て、原田の体がぎくりと強張る。
着物を掴んだ手からも、それが伝わってきた。
「・・・私、が・・・っ・・・!私が、嫌なら言ってください・・・!!
あれは、気の迷いだったんだって・・・言って下さい。
そ、うすれば・・・っ・・・私ちゃんと・・・びっくりするじゃないですか≠チて・・・
ちゃんと・・・っ言いますから・・・・」
「・・・・・・・・・・・!!」
嗚咽で途切れそうになる言葉。
それでも、鈴花は必死で口を動かした。
この期を逃すわけには、いかなかったのだ。
その必死な彼女の声で。
原田の動きが変わった。
前へと引っ張られていた着物が、緩くなる。
少し、体が近づいたのだろうか。
そう思い、鈴花は顔を上げた。
そこには。
ひどく辛そうな、原田の顔があった。
ああ。
本当に、自分は。
この人を困らせているんだ・・・。
改めて、そう自覚する。
いつもは朗らかな彼の、こんな表情を。
鈴花は、見た事がなかったのだ。
「・・・桜庭・・・」
掠れた、低い声。
それは、原田の心の中を写し取ったかのように暗い。
鈴花は、覚悟した。
自分を切り裂くであろう言葉が。
彼の口から出てくることを。
その、時。
ぽたり。
上空から、雫が落ちてきた。
一粒落ちれば、それは瞬く間に増えていき。
二人の体をあっという間に濡らしていった。
だが。
原田も、鈴花も動けない。
こんな中途半端な状態で動けるはずもなかった。
幸いなことに、叩きつけるような雨ではなく。
しっとりと二人を包み込むような、そんな柔らかい雨。
原田の精悍な顔を透明な雨粒が、滑るように落ちていく。
その様を鈴花はぼんやりと、見つめていた。
雨に濡れた二人の体が、体温を放つ。
まるで立ち上る蒸気のように、互いの体から熱を感じた。
それに伴い。
彼の、匂いが。
雨の匂いに混じって、彼の匂いが鈴花の元へ届いた。
「・・・原田さん・・・私が迷惑なら・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・迷惑なんかじゃ、ねぇ・・・・・・・・っ!」
苦しそうに叫ばれた、その瞬間。
鈴花の体は、逞しい体に包まれていた。
先日と同じ感覚。
だが、違うのは。
雨に濡れて冷たくなった着物と。
対照的にひどく熱い、彼の体を感じること。
迷惑なんかじゃ、ねぇ。
その言葉が、頭に入る。
しかし、抱きしめられて舞い上がってしまった彼女には、その意味が理解出来ない。
ただ、ひたすらに。
この逞しい腕を離したくない、と。
そう思うのみだった。
「原田さん・・・」
「・・・桜庭・・・」
頬を伝う雫は、雨か涙か。
それすらわからず、ひたすら原田の胸に顔を押し付ける。
すると、力強い腕は答えるように、更にぎゅっと抱きしめてくれた。
言葉は、いらない。
もともと口下手な原田の。
精一杯の説明だった。
振り出した雨は、やむ気配はない。
しかし。
今は、その冷たさも気にならず。
反対に、火照った体に丁度良いとさえ感じてしまう。
ふいに、頭の上に重みを感じた。
鈴花の頭に、原田の顔が寄せられたのだ。
髪をくすぐる彼の吐息に。
鈴花は、体を震わせた。
そのまま顔を上げると。
雨粒に彩られた、彫りの深い顔が間近にあった。
「原田さん・・・」
たまらなくなって、そっと呟くと。
答えるように、原田の唇が鈴花のそれに重なった。
最初は、そっと。
まるで探るように。
しかし、互いの熱を伝え合っていくうちに、それは段々深くなってくる。
彼の舌と共に、雨粒までもが口の中へ入ってきた。
鈴花は、水の中にある原田の激情を。
必死で飲み込んだ。
雨は、少しずつ小降りになっていた。
互いの熱で暖められたその体には、冷たさは微塵にも感じなかったが。
雨音が遠のき、次第に静かになっていくにつれ、雨雲が通り過ぎていったことを理解した。
それと同時に。
微かだが、数人の足音が聞こえはじめて来る。
その音で。
二人は、我に返り。
「・・・・・・・・・・・・・・!!」
原田が、勢いよく鈴花の体を引き剥がし、そのまま身を翻そうとする。
今度こそ。
今度こそ、鈴花は彼を引きとめた。
前回と同じことになるのは、何としても阻止しなければ。
「桜庭・・・!!」
「逃げないで下さい・・・・!!」
涙の残る声でそう訴えれば。
原田は、ぎくりと身を固くする。
だが、足音とともに話し声までも近づいてくるのを感じ、鈴花の手を取り歩き始めた。
こんな所を見られてしまえば、何と噂されるかわかったものではない。
二人はそのまま、無言で原田の自室へと向かった。
ぱしん。
静かに、襖が閉められる。
その音と共に、そっと手が離された。
「・・・逃げたわけじゃ・・・ねぇよ」
ぼそりと呟かれた言葉に、鈴花は俯いていた顔を上げる。
そっぽを向いた原田の顔は。
心なしか、赤いような気がする。
「・・・逃げてましたよ・・・?だから私、あんなに悩んだのに・・・。
迷惑だったんだって、そう思ったのに・・・」
「迷惑なんかじゃねぇよ・・・・!
そりゃ、いきなりあんな事して悪かったとは思うし・・・。
その、さっきも・・・・」
さっきも。
その言葉で、原田の顔が更に赤くなる。
「・・・雨で・・・」
「・・・え・・・?」
「雨で、おまえの匂いが近くまで来たから・・・その、我慢出来なかったんだよ・・・!
「にお、い・・・?」
確かに。
先程、雨に濡れた時。
鈴花も、原田の匂いを感じた。
それと同時に、切なくなる思いも。
では、原田も自分と同じものを感じていたのだろうか。
鈴花の胸が、とくんと跳ねた。
「でも、誰にでもそんな事するんじゃねぇぞ!?
おまえだから我慢出来なくてだな・・・」
「・・・原田さん・・・」
まだまだ続きそうな、分かりにくい原田の説明。
つまりは。
彼は、自分のことが好きなのだということなのか。
そう鈴花は理解した。
分かりにくいことこの上ないが、彼の必死の言葉の中には、自分と似通った心情が伺える。
ならば。
「・・・私から逃げてたのって・・・。
ただ単に恥ずかしかっただけ・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!!!」
これ以上はない、というぐらい。
盛大に赤くなった彼の顔で。
鈴花は、自分の考えが間違っていないことを悟った。
そして、また逃げ出そうとする彼の体を捕まえる。
今度は、体ごとで。
「・・・恥ずかしくても、逃げないでください。
私、どうしていいか分からないじゃないですか・・・」
「けどよ・・・・!!」
「逃げられたら、嫌われてるって思います」
鈴花の言葉で、原田の抵抗が止んだ。
その反応に、くすりと笑みが漏れる。
「・・・嫌ってなんか・・・ねぇよ」
精一杯の、告白。
口下手な原田の言葉に。
鈴花は、ここ数日間胸に巣食っていた、もやもやとした霧がすっと晴れていくのを感じた。
この先。
今回のような騒動がいくつもあるのだろう。
口下手で、照れ屋で。
妙に純情なくせに、本能だけで動く原田。
そんな彼に、翻弄されて悩むことが、多々あるのだろう。
そんな時は、きっと今日のことを思い出す。
雨音の優しい音と。
雨が運ぶ愛しい人の匂いを。
きっと、思い出す。
まだまだ頭の上で続く、必死の言い訳を聞きながら。
鈴花は、再び彼の匂いに包まれていった。
・・・誰だよコレ(汗)
えと、雨の匂いで鈴花の匂いを感じて理性をなくす原田のお話でした(ほんとか?)
いやー。原田難しいね・・・!!
ちなみに、雨香は、私の造語です。
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